トニーバンクスが初めて使った日本製シンセサイザー。1976年に発表されたこのシンセは、トニーバンクス以外にも、エディジョブソン、ヴァンゲリス、スティービーワンダーなど、数多くのミュージシャンにも使われた名機。8音ポリフォニックでアフタータッチを実現し、さらにプログラマブルメモリー(ユーザーが作った音色を4つまでプリセットできた)等のユニークな装備があり、当時としては画期的な仕様だったのだが、何よりもこのシンセサイザーの魅力は、その分厚いストリングサウンドにあったようだ。
トニーバンクスがこのシンセサイザーを使ったのは、Dukeのレコーディング時である。つまり、Behind The Linesの冒頭から炸裂するあのシンセストリングスは、このCS-80の音色である。前作の...Ane Then There Were Three...で短い曲を多くして、ポップな仕上がりを意識したのに対して、ポップなセンスは維持しつつも、少しプログレ寄りにゆり戻した感のあるサウンドが特徴のDukeであるが、このゆり戻しのきっかけになったのは、このCS-80の音色にあったのではないかというのは、考えすぎだろうか?
というのも、トニーバンクスという人は、結構楽器に惚れて曲を作るタイプの人のようなのだ。以前日本のキーボードマガジンに掲載されたインタビューで、We Can't Danceでメインで使ったWavestationというKORGのシンセについて結構熱く語っていたのを読んだことがある。Duke収録のBehind The LinesやDuke's Travels、Duke's Endという、アルバムのハイライトとなった楽曲は、この日本製新型シンセの音色にインスパイアされて作られた部分もあったのではないかと思う。
余談だが、ピーターガブリエルがIIIのレコーディング中、フィルコリンズのドラムから偶然生まれた、あのゲートリバーブのドラムサウンドにインスパイアされて、一晩であのアルバムオープニングのIntruderを作曲したというエピソードが「ピーターガブリエル正伝」に載っている。何か特徴的な音色にインスパイアされて曲が出来るというのは、ミュージシャンにとって割とよくあることなのかもしれない。いずれにしても、あの名作Dukeを彩ったシンセサイザーが日本製だったというのは、日本人としてはちょっと誇らしいのであった。
ところがこのCS-80、その魅力的なサウンドとは裏腹に、ボディはデカく重く(80Kg近くもあった!)、さらにはオシレーターが不安定で、チューニングを安定させるのに苦労するマシンだった。内部温度の変化に敏感で、正確にチューニングしても20分くらいしか持たなかったという証言すらある。さらに、チューニングに関わる部品の内部構造が振動に弱く、正確にチューニングしたこのシンセを移動させると、派手にチューニングが狂ってしまうという欠陥があった。そのため、このシンセをツアーに持って歩くのは至難の業だったらしい。かつてはメロトロン、後にサンプラーのお化けのようなSynclavierすらツアーで持って歩いたトニーバンクスなので、重いだけなら当然ライブでも使ったと思うのだが、ステージで一度も使わなかったというのは、やはり安定性の問題が深刻だったのだろう。
DukeツアーでCS-80の代わりを務めたのは、ARPが1978年に発表した、Quadraというポリフォニックシンセサイザーだった。Dukeのスタジオ盤と、そのときのツアー音源が中心のThree Sides LiveでのBehind The Linesを聞き比べてみると、この二つのシンセサイザーの音色が聞き比べられる。実際のところ、かなり似た傾向の音色であり、ARP Quadraも、相当分厚いストリングスを出すシンセサイザーであったことがわかる。トニーはこのQuadraが相当気に入っていたようで、その後Abacab、Genesis、Invisible TouchのレコーディングとツアーでずっとQuadraを使い続けるのだった。
YAMAHA渾身のシンセサイザーも、直後に出てきた別のメーカーのシンセにあっという間にリプレースされてしまうほど、当時のシンセサイザーメーカーの開発競争は熾烈だった。この頃は、ちょうどシンセサイザーが初期のモノフォニックから急速にポリフォニックに移行し始めた時期で、この頃の開発競争の激しさが何となく感じられるようなエピソードである。

